教授の戯言

手品のお話とかね。

東北太平洋沖地震

発生時、会社の高層フロアで仕事をしていましたが、揺れ幅が半端じゃなくて、コントかと思うくらい、周りの誰も座っていない椅子が左右に滑っていました。立っているのが大変なレベル。台場の火災の煙の他にも、私の座っていたところから東の彼方に、例のコスモ石油のLPGタンク火災が見え、最初はほんの小さな火だったのだけれど、30分後くらいに爆発。その後も断続的に爆発をしていた。社屋の内壁にも亀裂と剥離があり、エレベーターホールも非常扉半封鎖。私は継続的な横揺れで酔いました。徒歩帰宅しましたが、「東京ってこんなに人多かったんだ」と思うくらい道には車と人が溢れていました。隅田川支流が完全に逆流していて、それを見て初めて「津波」を実感。
銀座周辺から日比谷にかけて、車も徒歩者もごった返していてとぼとぼ帰宅。帰宅するとマンションのエレベーターが止まっていた。部屋に入る前にひとまずガス栓のリセット。入ったら想像していなかった場所の荷物が落下していて、生活空間の方も棚の上のものが軒並み落下、DVDが一枚だけとはいえバッキリ破損。スキャナが落っこちていて、「ああ、壊れてる」と思ったが一箇所外れていただけですぐ戻りました。ざっくり片付けつつ家族・親類の安否も確認できたところで近所のコンビニに行くが、棚がすっからかんで、諦めてラーメン食べて帰宅。ひどい一日でした。。。いや、ライフライン自体は維持できている東京の私なんかはまともな方だったと思うのだけれど東北がひどい。 宮城の津波もそうだし、親戚の住んでいる福島では原発がまずいことになっているなど予断を許しません。恐ろしい出来事です…。あんな中でも割とみんな仕事して会議もやっていた辺り、弊社はちょっとおかしいのではないかと思ったりもしました。

東北地方の皆さん、大丈夫かな…。サークル同期の実家が宮城の亘理なのですが、完全に津波の射程圏内でした。そちらもすごく心配です…。