教授の戯言

手品のお話とかね。

ドイツ旅行 5日日 8/23(金)

朝にホテルを引き払ってベルリンの駅に行くも、コインロッカー全滅という様で、結局夜に使うオストバーンホフ近くの駅でコインロッカーを確保。ベルリン中央駅に戻ったのが無駄でした。しくしく。いや、一応夜行列車の予約はしたか。


マブラヴオルタのスピンオフにシュヴァルツェスマーケン(以下柴犬)という小説のシリーズが有り、これがまた滅法面白いのですが、たまたまツイッターで作者の内田先生から「ドイツ行くんでしたらシュタージ博物館とか、DDRミュージアムベルリンの壁ミュージアムあたりが聖地巡礼という意味では行きやすくてお勧めです」とか言われた日には行かざるを得まい。



まずはシュタージ博物館。いわゆる秘密警察の本部があったところで、まあ確実に外国人がベルリンに来て、まず行く場所ではないですw なんか周辺、人通り少なくて昼間なのに怖かったですし。中はちょっと手品っ子的に思うところがあるというか、いわゆる監視社会の頃に実際に使われた、各種盗聴盗撮のグッズのオンパレード。線路の枕木とか、その辺に置いてあるドラム缶の中とか、あと、どう見ても木の塊だとか、色んな物にカメラが仕込まれており、柴犬ではよく吹雪く中、盗聴を防ぐために外で会話するシーンが出てまいりますが、こんなにあらゆるものに仕込まれてるんじゃ、そりゃうかつに会話もできないなあとか、将来を嘱望されてるとはいえ、グレーテルさんは何階くらいまでいけたんだろう、この本部、とか思いつつ、いもしないグレ子さんの残り香をかごうと(ry 


政治将校のグレ子さん。

続いてベルリンの壁。ベルリンの、ときたら壁よりも赤い雨、のワタクシですが、今や標としてしかない壁も、80年代とか本当に絶望の象徴だったのだろうなあという感じで。単なるバリケードレベルの頃に脱出できた人はラッキーでしたが、あの壁を越えようとして同じドイツ人同士が監視し、密告しあっていたとかやるせない感じです。今や静かな草地と、壁の一部、鉄骨の一部が残るだけですが、子供の意見みたいで恐縮ですけど、壁、壊せて本当に良かったですね、と。あとおみやげ屋さんでベルリンの壁トランプ的なものがあったので買ったのですが、よく見たらトランプじゃなくて、ベルリンの壁に関するクイズが書かれたカードでしたw ベルリンの壁マニアにはさておき、デックコレクションとして買った身としては涙目w

最後にDDRミュージアム。往時のドイツの暮らしを体感できる博物館。ここ、ベルリン大聖堂の裏にあるんですが、その日たまたまかどうか知りませんけど、無駄に観光客が多くて、正直なかなかゆっくりと見られませんでした。でも、こういう家でアイリスディーナは実兄の頭を踏み砕いたのかなとかテオドールとリィズは育ったのかなとか妄想を(ry どうでもいいけど、最近挿絵のアイリスディーな、おっぱいおっきすぎじゃないですかね?(誰に向けているのかわからない問いかけ)


1時間程度で切り上げて、コンビチケットを買ったのでフンボルト・ボックスへ。ここからいろいろなベルリンが見えましたが、やはり正面に見えるギリシャの博物館に行こうということで(脳内会議)そっちへ。まあここもペルガモン同様、文物が多量にあるけどなかなか読む余裕もなく、割とさらーっと流した感じです。となりにベルリン大聖堂もあるので、せっかくだしと入りました。ここは大聖堂と名がつくだけあって、本堂に入ったときは、別に神様とか腹痛の時以外信じてませんけど圧倒されました。何この巨大建造物、的な感じで。文化の高さを感じると同時に、昔ってこういうのをほぼ人力で作っていたわけだし、よく言えばひたむき、悪く言えばみんな暇だったのかな、とか思ったり思わなかったり。回廊に登れるということで、痛む足を擦りつつ7階相当の回廊へ。ここから見るベルリンは中々に良い景色で、その日結構暑かったし歩きづめで足も痛かったのですが、ちょっと報われた気分でした。大変気持ち良いです。昇り降りが階段なのだけが玉に瑕ですがw

その後は知人に頼まれたお茶を駅近くのデパートで買い、またビールを呑んだくれ、適当なファストフードを食べ、荷物回収してオストバーンホフ駅へ。ここから夜行でケルンに向かうのです。聖堂コンボ。なおここの駅のホームからアマゾンでまんが買ったりしておりました(帰国日あたりに実家に届く感じ)。すごい時代です。


いや、嫌な予感はしてたんですよ。寝台のスタートデート、8/25(翌日)ってなってたしさ。やっぱりというかなんというか「君、このチケット明日だぞ?」とか、乗った列車のDB職員(なお、ドク・イーソンにクリソツである)に言われるという大問題発生。「今日、空きがないからなあ」「いやいやいや、ちょっとそれはおたくの職員のミスでしょう、私、今晩の列車を、って頼んだのに」「そうは言ってもなあ」 ここで降ろされたらホームはレスで駅のホームで寝るしかなくなるのでこっちも必死です。ひとまず2等客車の適当なところに座り、「ちょっと途中で乗るかもしれないし、そこで待っといて」とか言われ、いつその連絡とやらが来るのかと戦々恐々と一晩中寝ながら待っていたのですが、結局最後まで来ないでやんの。シクシク。眠り浅かったっちゅーねん。お尻も痛いし。まあ兎にも角にも寝台でぐっすり寝ての予定が、普通の新幹線の椅子みたいなのに乗ってくるという悲しさ。なんかもう寝台を確保したときは、日程を最初にチェックせねばならないということを学びました。身をもって。