教授の戯言

手品のお話とかね。

手品を見破るお話。


「手品を見破らんと欲すれば、マジシャンが動かしているのとは逆の手を見よ」という、手品を演じる側にとっては全くもってありがたくない格言があります。まあ本当にそればっかりかというと、存外そうでもないのですが、イイとこをついています。複雑な現象のものはともかく、"コインを左手に渡して握りました→左手を開きました→消えてました"の場合、「じゃあ右手にあるんじゃないの?」と考えるのは自然な流れでありましょう。


先日とあるテレビ番組で、(手品っ子ワールドでは)有名なマジシャンが女優さんを相手に、非常にきれいな「指輪と紐」の手品をやっておりました。演者自身が見せるシーンもありましたし、指輪に通したはずの紐が、お客さんの握った手の中でするりと外れたりと、非常に好みなものだったのです。ですが。
女優さんが空気読めない人なのか、それともトリックそのものの限界か、現象のたびにぽそりとなにかを言う女優さん。いわく、「・・・ホントは通してなかったんだ」「握る前に外れてたのよ」・・・実に鋭い事言ってましたね(笑)。マジシャンはニコニコしながら流していましたが、内心は結構やりづらかったんじゃないかと思います。
これをみて思ったのは、やはりお客さんと言うのはきちんと見ていらっしゃるなあという点です。「遠慮して言わないが、客は"何か"が行われたことだけは知っている」というマジック界の有名な言がありますが、お客さんが素直に思った方法を口にしてみたら、実際まさにそのとおりの方法、ということは結構ありそうな気がします。そのくらい脆弱な説得力の上に危うく成り立っているのが、手品と言う芸能の本質なのかもしれません。

上記のような"物体が貫通する"という手品の場合、マジシャンがどういう方法を使っているかはともかく、理屈で考えれば
・通したように見せて通っていない
・通っていないように見えるが通っている
・本当に通っているがどこかのタイミングで外している
・本当に通っていないが何らかの方法で通している
という4パターン(出発状態2択とエンディング状態2択、組み合わせで4種)であるというのが分かると思います。

お客さんは上記のような選択肢を埋め、色々な推論を行うわけです。通常、現象が単純であるほど考慮すべき選択肢は少なくなります。逆に、「サインドカードが消失→机に置いてあった財布内の密封された封筒から出現→更にそのカードからサインが一本の線になってはがれる」なんていうトリックは複雑かつ考える事項も多そうですが、右手から左手に渡したコインが消えてまた右手から現れる、という現象の場合は選択肢は格段に少ないでしょう。


私は、"現象をそのままに見て、しかも驚いてしまう"という、客観的にみても相当"いいお客さん"タイプです。そんな私もルーティーンを追おうとした場合、恐らく無意識にトリックを類推しながら見ているはずなのです。要はマジシャンの提示とは逆の思考といいますか。「通ってますよね」といった時(言わなくともそう見せた時)には、既に外れているか何らかの手段で外しにかかるかするだろうし、「通ってません」の場合(もしくは通ってないように見える場合)にはすでに通ってるか、このあと何がしかの手段で通すんだろうな、という脳内推理です。手品は、「演者がお客さんに与えたい状況認識があり、それが覆ることで不思議さが成り立つ娯楽」であるので、与えられる認識の"逆"をわざと考えていくことで、意外なまでにトリックそのものは推理し易いのかも知れません。合っているかは別の話ですが。

理屈で捉える手品というのは、世間的には多分「パズル」というんだと思うのですが、それはそれで一つの楽しみ方です(テレビで垂れ流してしまうのは正直どうかとは思いますが)。そのまま現象を見る人にとっては不思議を楽しむ事が出来ますし、うがった見た方をする人はそのトリックの道筋を類推することで(その方法が合っていたか違っていたかはともかく)同一現象でも違ったアプローチのトリックを生みだす可能性もあります。その点では、推論しながら見てみるというのは、手品に限らず、論理思考のいい練習になるかもしれません。まあ大体の場合は"ぼけっと見てても不思議"と思えるのが一番だと思っています。



・・・あ、えーと。手品論ぽい話も出てきましたけど、"TVで見た「指輪と紐」の演技で、女優さんのツッコミがいちいちトリックそのものに直結していて面白かった"ってことを書きたかっただけなのでオチは無いです。気がつくと文章長すぎ。すんません・・・。