教授の戯言

手品のお話とかね。

霊魂喫茶!

▼友人に布教された「聖戦のイベリア」をハードローテBGMにしながら、はるか北の大地そのほかへ出張をしておりました。本当はノエインの舞台、函館にも行きたかったのですが時間もなく。
そんなわけで更新とか意識の外でした。手品も無意識のペンスリービングとミンティアのテンカイパームくらいしかしておりませんなあ。



ふと気が付くと拙ブログのヒット数の桁がパワーアップしていました。読んでくださる方、さらには書きこんでくださる方、余分にありがとうございます。実質私が1・2万くらい叩いている気がするので、数字の信憑性が相当アヤシイのは秘密です。しかし延べ人数はともかく、今まで書きこんでくださった方々が全員同一人物、しかも姉とかだったら凄いなあ。恐ろしいまでの自作自演ブログ。「かってに改蔵」のラストのホスピタル的な。



▼ゆうきさんのブログにて、以下のような驚愕の事例が紹介されていました。
先日 「ついにここまできたか……」 と思ったのは、「演技を見てびっくりしましたし不思議でしたが、解説をみたらギミックだし準備が必要なのですごくがっかりしました。私は準備のいるマジックは嫌いです」 というもの


糸色「いやあ、先生、最初にこれを読んだとき思わず、"なんとものぐさな方だ!"と思ってしまいましたよ!」(CV:神谷浩史)
風浦「ものぐさなんて事、あるわけが無いじゃないですか!きっとこの事例の方は、ノンギミック・スライハンド派のピュアリストで、心は常在戦場・いつなんどき誰の前でも演じられる事を条件にトリックを吟味している、超・実践派マジシャンさんですよ!」(CV:野中藍)


トリックと、準備/ギミックのバランスと言うのも中々興味深い話題です。私はどんな手品でもある程度の練習と準備なんてのはあって当然と思っている(それはもう、考えるまでもなく)のですが、じゃあ不思議だったからと言ってトミワンの"Nest of Boxes" 、自分でアレ作るかというと、さすがに作りませんしねえ。あのレベルの機械仕掛けトリックも実は大好きなんですが、自分ではやりません。工作不精なもので。

ただ、記事の方のlazyぶりに「おいおい、いくらなんでもそれはないんじゃないのか」と思いつつも、冷静に己を省みると言いたい事も分からなくも無いのです。"男と生まれたからには誰もが世界最強を夢見る"ように(刃牙的世界)、世の中の手品っ子なら誰しも、もし「ノンギミック」で「準備も不要」で「不思議なもの」があったら欲しいと思うのは至極当然なのではないかと言う気はしました。私は欲しいです。…ホントに欲しいなあ。10万円くらいまでならぜひ欲しいです。そんなアイテム、喪黒さんあたり持ってそうですが。で、もちろん最終的に約束を破り破滅する私。


「きょうじゅさん、約束を破りましたね?」
「え?だ、だって喪黒さん、アンコールうけたらやらないわけにはいかないじゃないですかっ!とと、当然ですよ、そんなの!」
「だーめですよ、約束ですからぁ。ドーーーーン!!!」
「うわああああぁぁぁ…」
 

「アンコールを受けようが受けまいが、嫌味無くさらりとやめる事が出来るのが、"手品の粋"ってもんですなあ。追加で演じてしまうのは野暮の極み。おーっほっほっほっほぉ…」 END



※このパラグラフは、ゆうきさんの引用部を読んだ瞬間に、脳内で神谷さん・野中さんボイスによる冒頭のやり取りを思いついたからそれを書きたかっただけで、あとは文字通りの後付けでした。お読み頂いた方、本当にスミマセンでした。



▼数年前のTV放送にあった前田さんのOWについて、知り合い(コチラ側の人)から「どうにも不可解だ」と言うコメントを受け、私もYoutubeで見てみたのですが、やはり一箇所だけ辻褄が合わない箇所がありました。超ふしぎです。



3段中の第1段、卓に伏せる形で3枚ずつの黒赤を交互に重ねていき、最後にそれが分離するのですが、最初に伏せた黒がパケットをまとめて返した時に赤になっているんですね。パケットの途中が入れ替わるのはともかく、ここが変わると言うのがまったくもって不思議で、しばらく実現方法について思いを巡らせておりました。



2・3日して忘れかけた頃に(…早いなあ)別のマニアの方々にお会いしたのでこの話題を出してみたところ、皆さん最初は「確かにここはよく分からないねえ」と言うコメントだったのですが、最後に会場に来た方から、



A「あ、これですか。放送当時ちょっと話題になりましたよね。なんでも本当はもう少し長いルーティーンだったんですが、編集されてるとかなんとか」
私「た、確かにここで映像は一回切れてますけど…」
A「そうそう、その切れた部分に1ステップ、別の操作があったらしいですよ」
一同「えー!?」(漫☆画太郎 的表情)



真偽はともかく、…それは不思議にきまってますわなw 
「ズルーイ!」
「ズルーイ!」
「映像トリックが許されるのはマルコ・テンペストかピーター・マーヴェイまでだよねー!」
「キャハハー!」 
…ごほん。



ちなみにフォローするわけでは無いですが第3段はちゃんと不思議でした。デック全体のテーブルリフルシャッフルと、そのあとオープンに手で両サイドのパケットを寄せて、混ぜている事をかなり公明正大に見せているのです。あのディスプレイは実に素敵ですね。



▼なんとなく時機を逸して「応援したいです」と言うメールを送れてない(「別に私に応援されてもご迷惑だよなあ」と、自分で思ってしまったのでますます送れないw)、加藤英夫さんの「Cardician's Journal」ですが、3月14日付のNo.013に興味深い一例がありました。"マジシャンズセンシビリティ"と"オーディエンスセンシビリティ"という言葉(造語)で、いわゆる"手品っ子目線"と"一般的な人の感覚"の差についての話題です。


ただ、それを読んで、加藤さんほどの碩学の場合、いやでも手品っ子センス目線になってしまうのは仕方ないのでしょうけれど、結論にあった"マジシャンが面白いと思うことなど(観客目線に比べれば)どうでも良い"というのはぶっちゃけた話、当たり前なんじゃないのかと思いました。どこの世界でも、誰に対するものなのかを意識せずにどんどんマニアック方向に行ってしまう人はいるという事の証でもあるんでしょうけど…。


手品には娯楽・芸能として以外に、ある種の学問体系としての側面があり、そこが面白いものだとも考えております。そういう意味ではマジシャン的観点だとかアカデミックな視点も必要でしょう。でも、演技の際には「マジシャンが面白いと思うかなんてのはどうでもいい」「観客の目線が重要」というのは、至極当然の事だと思った次第です。マジックに限らず、演劇でもなんでも。いずれにせよ、きちんと実践するのは思いの外難しいのは間違いないのですが。